青野照市九段のエッセイ集。
青野は、『必勝!鷺宮定跡』や『青野流近代棒銀』に代表されるように、序盤の研究家として知られていた。その青野が、将棋界や棋士に対する評論を書いたものが本書である。
「あとがき」によれば、「かなり若い頃から、棋士はどうして強弱の差がつくのかを真剣に考えてきた。研究の差なのか、才能の違いなのか、また人間性や性格が大きく影響するのか」(p222)とのこと。なので、「エッセイ」というよりは、「考察」の方が多いかもしれない。
いずれにせよ、青野の将棋に対する真摯な姿勢がふんだんに表れている。
本書の初出はさまざま。
・「将棋ペン倶楽部」(発行誌)、
・「NHK学園『将棋』」(機関誌)、
・「週刊将棋」(週刊紙)、
・「近代将棋」(月刊誌)、
・「JCB広報誌『THE GOLD』」
の5誌に掲載されたものを纏めている。そのため、文体や長さは掲載媒体によってかなり異なっている。
扱っているテーマは多岐にわたるので、各テーマごとに簡単な内容と所感を一覧化してみた。
第1章は、「勝負の向こう側」と題され、「将棋とは何ぞや」と「コンピュータの(当時の)現状」を扱う。本章は主に文章で、局面の解説は一部のみ。
タイトル |
内容・所感 |
・文化としての将棋 |
将棋とは、ゲームであり、遊びであり、伝統文化である。性質は格闘技に近い。一対一の相対的ゲームで、やや曖昧さがある。 |
・コンピューターの実力 |
このころのコンピュータは、詰将棋ならほぼ解けるようになってきていた。先に駒損する手は指せなかったが、実戦の詰みならアマ三〜四段クラス。六枚落ちの下手では定跡より良い手を指したが、中終盤(詰みより前)はグダグダ。局面検索は当時も便利だった。 |
・30年前の予言 |
昭和43年度(1968年度)版『将棋年鑑』で、升田幸三が「コンピュータはプロ五段くらいまで強くなる」と予言。また、このコラム執筆時には「自動学習ができればプロを超える」と言われていた。 |
第2章は、「週刊将棋」に掲載されたコラムを集めたもの。「プロの視点」と題しているが、テーマはかなり雑多。プロ高段者から見た将棋のことを書いている。本章は、すべてのテーマに局面図が付いてくる。
タイトル |
内容・所感 |
・24連勝の秘訣 |
1994年の丸山忠久五段の24連勝を考察。勝ち将棋はじっくりと、悪い時も暴れずに長引かせる。いわゆる「激辛流」の元祖は森下だった?! |
・最善手追究派と実戦派 |
3手目▲7八金や、4手目△4四歩に対して、次の手は?相手によって手を決める棋士の方が多い。 |
・感想戦への思いの違い |
木村義雄は感想戦でも相手を負かした。大山は感想戦では譲った。中原・米長は「最善を尽くせばいい勝負」。谷川・羽生は読み筋を全部言う。高橋・南はそもそも話さない。内藤は「感想戦は記者へのサービス」。年を取るほど、逆転負けの時に感想戦が長くなる。 |
・右脳が左脳に勝つ日 |
感覚が読みを上回ることがある。実社会では左脳の方が上? |
・気配 |
タイトル戦立会人の入室タイミングの難しさ。順位戦の一斉対局で、昇級ライバルの勝敗がなんとなく分かる。
※話の流れ上の余談で、本節最後の「カメラマンが相手ばかり撮るので、ムカついてがんばった」というエピソードは、「気配」とは無関係。 |
・序盤の長考の中身 |
序盤の長考は、(1)新構想の検証 (2)作戦勝ちが狙えるかどうか (3)何かよくなりそうな感覚があるとき |
・駒落ち定跡の矛盾 |
・飛車落ち▲右四間の▲6八金上の是非は?
・二枚落ちは▲二歩突っ切りと▲銀多伝のどちらを推奨すべきなのか? |
・強者ゆえの弱点 |
序盤・中盤・終盤の隙がなく、じっくり勝てる強い森下卓が、終盤が鬼強の羽生善治・谷川浩司に勝てない。森下は「普段はほとんど大差で勝つだけにせり合うことがないのが(中略)唯一の弱点」(p61) |
・黄金の右手 |
子どものころから本筋を見ていれば、いい手は感覚で分かる(右手が自然に本筋に動く)。特に郷田真隆は「黄金の右手」の持ち主。 |
・夢を売る職業 |
王者に対し、周りは互角以上の気構えで臨むべき。それがプロ競技者の義務。 |
・将棋の免状 |
免状の文面の違い/四段昇段の一局/五段・八段昇段のエピソード/九段昇段の一局 |
第3章は、「棋士の心理」。「近代将棋」に掲載されたエッセイを集めたもの。各テーマは10p前後とやや長めで、本書の中でも読みごたえがあり、メインの章といえる。各テーマの前半ではテーマについて語り、後半はそのテーマに沿った棋譜を解説するスタイルを採っている。各テーマ末には棋譜が掲載されている(一部テーマは局面図のみ)ので、解説を読み始める前に、先に棋譜を並べておくとよい。オススメのテーマは、本書のサブタイトルにもなっている「研究と実戦の間(はざま)」と、「サリエリの嫉妬」。
タイトル |
内容・所感 |
・研究と実戦の間 |
本書のサブタイトルにもなっているテーマ。棋士にとって事前研究は必要だが、実戦では必ず研究から外れる局面が来る。その差をどうやって埋めるか?
・「序盤の金子」・金子金五郎によれば、「(金子の弟子の)山田道美は(病気で早死にしなくても)名人にはなれなかっただろう」
⇒山田は精緻な研究家として知られる棋士。グループによる研究会を広めた。大山康晴には中終盤で力負けすることが多かったとされる。
・青野の山田観は、「事前研究を存分に行って実戦に臨むのは、天下を取る棋士の心構えではないが、天才でなければ最良」
⇒青野は、自分が山田に似ていると感じていた。変わろうと思って、感覚や感性を磨こうとしてみたり、しばらく相手の研究もしなかったりしたが、なかなか変われない。
・研究家の振飛車党が増えてきた。小林健二、櫛田陽一、杉本昌隆など。
⇒「研究する振飛車への挑戦」として、急戦の研究を再開。△四間飛車▲左4六銀の△3六歩捨て型に局面を限定(【左下図】)。新手▲3九飛(【右下図】)以下を深く研究。
しかし、▲3九飛以下、すぐに△2二角と打たれ、以降の研究は水の泡に。「研究に頼ることのむなしさを感じさせられた一局」(p86)
⇒これを青野は「机上研究と実戦のギャップ」と評したが、むしろ小林は研究済みだったのかも?どちらにしろ、「(研究は不可欠でありながら)空しい」と言いつつも、その後、青野は▲3九飛以下をさらに深めていった。(『新・鷺宮定跡』(1997)など)
〔棋譜〕▲青野照市△小林健二、△四間飛車▲左4六銀 |
・苦手意識のなせるもの |
トップ棋士は「思考の柔軟さ」が高い。局面の決め打ちはせず、棋風や得意戦法も変わっていく。ここでの「トップ棋士」は中原誠のこと。
〔棋譜〕▲中原誠△高橋道雄、相掛かり
腰の重い高橋が中盤にあせった指し方をして負けてしまったのは、中原への苦手意識のせいで冷静な判断力が欠けてしまうためか。(※相性の話は、別の青の本で登場する) |
・サリエリに見る天才の嫉妬 |
サリエリは、映画『アマデウス』(1984)の主人公。一流の作曲家ながら、さらなる天才のモーツァルトに嫉妬する。一流であるがゆえに、大天才のすごさが分かってしまう。
青野は、将棋界では中原誠がモーツァルト、米長邦雄がサリエリ(の時期があった)となぞらえる。そして、自分は「(モーツァルトにはなれないまでも)サリエリの域になれるだろうか」(p99)と戦慄を覚える。
〔棋譜〕▲米長邦雄△藤井猛、△四間飛車▲4五歩早仕掛け |
・棋界の革命児 |
将棋界の精神面を革新したのは島朗。「先輩の経験を学ぶことより、後輩の斬新な発想や感性を取り入れる方が、将棋は深くなるという信念」(p10)
⇒個人的には、そのさらに下地を作ったのは谷川浩司だと思う。
〔棋譜〕▲谷川浩司△島朗、相掛かり▲ひねり飛車 |
・順位戦の手 |
「全ての将棋に全力を尽くす」は建前。やはり順位戦は重い。昇級による格の上昇と、降級の恐怖を併せ持つため、特有の「ふるえ」が生じる。
〔局面解説〕▲高橋道雄△有吉道夫/▲有吉道夫△谷川浩司 |
・花村九段の遺産 |
将棋界では、子弟制度があるものの、師匠は弟子に将棋をほとんど教えないのが通例。しかし花村元司は、弟子の森下卓と千局以上も指して鍛えた。森下の手厚い指し方はここから来た。
〔棋譜〕▲羽生善治△森下卓、名人戦第1局、相矢倉▲3七銀vs△8五歩
森下が終盤のポカで勝ちを逃した一局。 |
・木村義雄の再来 |
将棋界を世間一般に広くアピールしたとして、羽生善治を木村由を十四世名人になぞらえている。元ネタは、米長邦雄による名人戦観戦記。
また、羽生の出現によって、棋士全体のレベルが向上したとも。こちらは森下卓の発言を引用しての考察。 |
・修行の違い |
内弟子・塾生が消滅し、奨励会員が低年齢化する中で、地方出身者に不利な状況でプロになった深浦康市について。(深浦の修業時代については『プロへの道』(2009)に詳しい)
〔棋譜〕▲石田和雄△深浦康市、3手目▲5六歩からの相居飛車 |
・本当の恩返し |
弟子が師匠に勝つことを「恩返し」というが、青野の考える「恩返し」とは、師匠が到達しなかった地位に自分が到達し(たとえばタイトル獲得)、「すべては師匠のおかげ」と表明することである。
〔棋譜〕▲久保利明△淡路仁茂
この対局は久保が勝ち、「恩返し」を果たす。(十数年後の2009年、久保はタイトルを獲得し、「青野流の恩返し」も果たすことになる。「師匠のおかげ」といったかどうかは知りません(汗)) |
第4章は、「女流棋士への思い」。当時の女流棋士は、男性棋士の棋戦への参加はすでに認められていたが、男性棋士との実力差は大きいと見られていた。本章の前半3編は、女流棋士が男性棋士に公式戦初勝利を挙げるまで。最後に中井広恵が初勝利を挙げるが、まだまだ「女流が勝っても不思議ではない」という状態にはならなかった。本章は局面図のみ。
タイトル |
内容・所感 |
・女流対男性棋士の対決 |
・▲林葉直子△畠山鎮、▲四間飛車△左美濃
先手が玉頭直撃作戦。一部では藤井システムに影響を与えたと評される将棋。
・▲丸山忠久△清水市代、横歩取り
・▲高田尚平△中井広恵、矢倉
・▲林葉直子△有森浩三、▲袖飛車 |
・男性に並ぶ日は |
・▲中井広恵△清水市代、相掛かり?
(当時の)女流棋士には、プロ的感覚は十分備わっているが、ハングリーさが足りないのではないか?
⇒本章(第4章)で紹介される将棋を見る限り、当時の女流棋士トップは時折男性プロ並みの力を見せるものの、中終盤のプロ感覚が未熟だったようだ。 |
・女流棋士の悲願 |
・▲藤井猛△中井広恵、▲四間飛車?△四枚美濃(図面は便宜上先後逆)
前項と違い、この将棋では中井のプロ的感覚が足りない。 |
・中井広恵女流名人の快挙 |
女流棋士が公式戦で男性棋士に初勝利。(※銀河戦での勝利はいくつかあったが、当時の銀河戦は非公式戦だったので、「女流の勝利」にはノーカウントだった)
・▲中井広恵△池田修一、ただし中盤での後手の大ポカによるもの。
・▲清水市代△桐谷広人
・▲林葉直子△斎田晴子(図面は便宜上先後逆)
・▲中井広恵△斎田晴子( 〃 )
・▲斎田晴子△中井広恵
斎田は、中井・清水の次世代として有望株だったが、この時点ではまだ届かない感じ。 |
第5章は、「勝負のあとさき」と題し、すべてが見開き2pのショートコラムとなっている。局面図が2つずつ載っているが、解説は軽め。
タイトル |
内容・所感 |
・木村名人復位の瞬間 |
後世に残る投了図の一つ、▲木村義雄△塚田正夫。 |
・粘るが勝ち? |
チャイルドブランドたちは簡単に投了しない。 |
・相手に粘らせない強さ |
谷川浩司と加藤一二三は、(違うタイプながら)相手を粘る気にさせない。 |
・勝負を決めるのは感性の鋭さ、か? |
青野の主張は、「(勝負のメインは)感性の鋭さだが、経験が優ることもある」。ベテランもまだまだやれるぜ。 |
・相性の悪さを克服した新王将 |
米長邦雄が、王将戦で苦手の南芳一を1-3から逆転して奪取。 |
・美学に殉ずる棋士は少数派? |
早投げの真部一男が、勝っている将棋で投了。 |
・40にして昇級の快男児 |
40歳でC級1組に昇級した沼春雄。 |
・名人戦史に残る中原の落手 |
第48期名人戦第2局、▲谷川浩司△中原誠。後手の打った桂が、直後にタダで取られるという大ポカ。 |
・最短距離の華麗な寄せ |
内藤国雄の華麗な収束と、島朗の早投げ。 |
・運も味方をしてくれる時 |
気合や集中力があるときのみ、すべての駒運びが上手くいくときがある。 |
・投了後に受けの好手を発見!? |
▲佐藤康光△神谷広志,第6期竜王戦4組決勝 |
・プロの6級とアマの6級の実力差 |
プロ6級はアマ四段〜五段に相当。アマ6級は、「プロ6級に二枚落ちの人」(※アマ1級くらい?)に、さらに二枚落ちで勝てない人。 |
・研究十分の森下、念願の初優勝 |
“準優勝男”森下卓が、新人王戦で棋戦初優勝。 |
・プロを負かすアマもいる |
天野高志アマが竜王戦6組で勝利。 |
気軽に読みたい人は第5章⇒第2章から、じっくり楽しみたい人は盤駒(または将棋ソフト)を用意して第3章から読むのがオススメ。冒頭から読むと、テーマが「将棋とは?」なので、やや茫洋とした感じがするかも。(2016May14)
※誤字・誤植(版不明(表示なし))
p104上段 ×「参考C図の」 ○「参考D図の」
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