現代振り飛車の歴史や背景を解説した本。
プロの将棋は難しい。特に最近は、角が向かい合ったまま駒組みをすることも多く、「ここで角交換されて、こう打たれたらどうなるの?」という展開をよく見かける。観戦記では、序盤の難所はサラッと流してあることが大半で、「プロの序盤は何をやっているのか分からない」というファンも多いだろう。(本書とは直接関係ないが、わたしも子どものころにヒネリ飛車の序盤を見て、何をやっているのかサッパリ分からなかった。)
また、有段者でも、プロの序盤の意味を訊かれて答えられない人も多いと思う。
本書は、現代将棋のプロの序盤(振飛車限定)の意味を、級位者でも分かるように解説した本である。
本書では、「見る将棋ファン」がプロの指し手を分かるように書かれており、基本的な対象棋力は5〜10級。10級以下でも何とか読める。また、上級者や有段者でも目からウロコの内容が満載である。
また、読者が読みやすいように、下記のようなさまざまな工夫がされている。一つ一つは小さな工夫だが、効果は大きく、非常に読みやすかった。
・本文中で「第1図(←)」のように、初出の図面がある方向を矢印で示している。
おそらく棋書では初めての工夫だが、該当図面に一瞬で目が届くので、ものすごく読みやすくなっている。
・重要なキーセンテンスは、太字ゴシック体で強調している。
これ自体はよくある工夫だが、本書ではTV番組「世界一受けたい授業」に匹敵する頻度で使われている。さほど重要でない文も強調されているが、著者として声を大きくしたいところであり、メリハリを感じられる。
・各部の初めには「概要があり、どのような構成で解説していくが書かれている。
・各章・各節の初めには、これから何を解説するかが短くまとめられている。
この工夫によって、頭の中の使用メモリが適切な量になるようにパーティションが設置され、内容がスコンスコンと入ってくる気がした。
各部・各章の具体的な内容を紹介していこう。
第1部は「序盤の基礎知識」。序盤について、もっとも基本的なところから級位者にも分かるように解説。有段者はパスしてかまわないが、級位者に説明する機会がありそうな人は読んでおこう。
第1部-第1章は、序盤の基礎講座。
・「序盤とは、『自軍の攻撃部隊と守備部隊を整える』こと」(p19)である。
・「定跡」とは何か?
・「作戦勝ち」とは何か?
・戦法の分類は?
・居飛車の「居」、振飛車の「振」って何?
第1部-第2章は、振飛車の戦型分類と囲いの解説。
・振飛車で飛を振る筋
・各戦法の長所と短所 (愛用棋士の列挙が意外とマニアックで面白い)
・振飛車の囲いの手数、長所、短所 (図面で強いところに○、弱点に×が付けてある)
第1部-第3章は、居飛車が戦型を選ぶときの考え方について。
・居飛車は急戦か持久戦を選ぶ
・急戦/持久戦の考え方
・居飛車の囲いの手数、長所、短所
第1部の最後にあるコラム(ブレイクタイム)で、「勝った直後の棋士が笑わない理由」について書いてある。確かに、NHK杯を観ていても、投了直後の勝利棋士はほぼ全員ニコリともせず、難しい顔をしている。本書では、「時限爆弾の解除」を例にしていて、思わず「なるほど!!」と膝を打つ。
第2部では、振飛車vs居飛車の歴史を振り返り、なぜ新しい定跡が生まれたのかを考察する。第3部へつながっているので、ここはしっかり読んでおきたい。
第2部-第1章は、対抗形(振飛車vs居飛車)の歴史。現代将棋では居飛穴が軸の中心にあるが、その居飛穴に対して振飛車がどのように対抗してきたかが書かれている。ここを読めば、なぜ「角交換OKの振飛車」が流行しているかが分かる。
藤井システムvs居飛穴が解説されるときにいつも紹介される一号局の▲藤井△井上戦が本書でも出てくるが、「井上には毎回気の毒」(p55)が太字ゴシックで強調されていたので、思わず噴き出してしまった(笑)。
第2部-第2章は、棋士の意識の変化について。昔(30〜40年前)は、以下のような考え方がプロ棋士の大勢を占めていたが、それがどのように変わってきているかを解説している。
・穴熊は邪道?
・手損は絶対ダメ ?
・千日手は避けるべき?
・居玉はありえない?
・筋悪は理屈抜きでダメ?
・振飛車は受身でカウンター狙い?
・先後でたいした差はない?
・終盤が強い奴が勝つ?
・研究は一人でやるもの?
第2部-第3章は、外部環境の変化について。特に、棋譜の入手性がどのように変化していったか、それによって情報の伝達スピードがどこまで速くなったかが書かれている。
簡単に言えば、昔は棋譜はあっても伝播せず、同じ手で何勝も稼ぐことができたが、現代では棋譜が即日出回り、翌日には研究され尽くしているような時代になっている。
(その割には、上位の棋士が本に書かれているとおりに指して負けていたり、著者が自著に書いた変化を忘れていたり、遠い昔に指されていた手が新手として騒がれたり……進歩のスピードが格段に上がっているはずなのに、案外前に進んでいない気がするのは気のせいだろうか?)
第3部は、現代振飛車の主要戦法について。各章とも、以下のような構成を採っている。
・戦法名
・特徴
・流行の理由 ★
・理想の展開 ★
・基本定跡
・居飛車側の対応(思想) ★
・歴史
・最新形(2012年10月現在)
この中でも、★を付けたところは特に注目。他の本にはなかなか載っていないところだ。特に「理想の展開」は、通常の定跡書では意外になかなか分からない。プロの実戦では、相手に理想形を組ませることはまずありえないからである。しかし、理想を描いて構想を立てることは、将棋に限らず非常に大事なことだ。
第3部-第1章はゴキゲン中飛車。「飛先を必ずしも受けなくてもよい」という思想の発見が大きい。
〔主な戦型〕
・初期の形
・丸山ワクチン
・▲5八金右超急戦
・▲7八金型
・千鳥銀(▲4七銀〜▲3六銀〜▲4五銀)
・居飛穴(松尾流居飛穴)
・郷田流▲4九金型速攻
・超速
├△3二金型
├△3二銀型
├相穴熊(△4四銀型)
├△4四銀型vs▲二枚銀
└菅井新手△4四歩
第3部-第2章は石田流。現代振飛車党の「先手番のエース」である。
〔主な戦型〕
・升田式石田流
・棒金と石田崩し
・棒金対策
・進化する早石田
├鈴木流7手目▲7四歩
├稲葉新手▲5八玉
├久保新手▲4八玉
└菅井流7手目▲7六飛
・対居飛穴
・対銀冠
・升田式石田流▲7七銀
第3部-第3章は先手中飛車。先手番での「角交換OKの中飛車」で、2手目△8四歩で石田流を拒否されたときに使える「先手番の裏エース」である。
〔主な戦型〕
・5筋位取り
・5筋歩交換
・5筋歩交換拒否の△6四銀
・5筋位取り容認の松尾流穴熊
・5筋位取り拒否の居飛穴
・居飛穴対策▲1六歩
第3部-第4章は角交換四間飛車。居飛車からの急戦がまったくないのが大きなアドバンテージ。上位棋士では藤井だけが使っている印象があったが、最近になって久保も採用しており、流行の予感がある。
〔歴史と特徴〕(本章だけは「主な戦型」ではありません)
・真部、木下のみが採用した時代
・アマでは「レグスペ」などすでに流行
・藤井の参戦で株価up
・振り穴Ver.と美濃Ver.
・△2四歩の成否は?
ハッキリ言って、本書を読む前は全然期待していなかった。「入門書の序盤解説に毛が生えたくらいだろう」と高を括っていた。
ところが、読み始めてみたら面白いったら面白い。読むのを全然止められない。わたしはコマ切れの空き時間で読んでいるのでさすがに一気通読というわけにはいかなかったが、読んでいて章末・節末まで来ても、あと10秒で降りる駅に着くという状況でも、つい次のページを開いてしまうんである。
この面白さの源泉はどこにあるのか?
題材が我々の興味をそそるところでもあるし、文章が分かりやすい、レイアウトが読みやすい、などが挙がるだろう。ただ、一番の源は、「著者がアマチュアファンの顔を思い浮かべながら書いている」と感じられるところにある。
おそらくは特定のファン像が著者の頭の中にあり、「彼(彼女)に理解してもらうには、どのように書いたらいいだろう」と考えながら書き上げたのだと想像する。それが、大きな構成から小さな工夫まで、隅々まで行き届いた一冊を完成させたのだと思う。
プロの序盤をアマにわかりやすく解説した本といえば『最新戦法の話』(勝又清和,浅川書房,2007)が浮かぶが、本書はさらに幅広い棋力層に受け入れられるだろう。あまりにもいい意味で期待を裏切ってくれた、数年に一冊の快書である。
「居飛車編」もきっと出ますよね……?(2012Oct29)
※誤字・誤植等(第1版第1刷で確認):
誤植は見つかりませんでした。
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