急戦矢倉の研究書。「将棋世界」誌に連載された「変わりゆく現代将棋」(1997年7月号〜2000年12月号)を単行本化したもので、本書に載っているのは1999年10月号〜2000年12月号分。
「変わりゆく現代将棋」は、矢倉の正しい組み方について、5手目、あるいは3手目にまでさかのぼって検討した講座である。5手目が▲7七銀でも▲6六歩でも、無難に進めばいわゆる24手組に落ち着く(実際、昔の棋書では「どちらでも大差ない」と書いてあるものもある)。しかし、後手が24手組以降の進展を不満と見て、序盤から一切の妥協なく戦ってくる場合、5手目の選択は非常に重要になってくる。
実際、本書の第1章「急戦棒銀」と第2章「右四間飛車」は、5手目▲6六歩のときのみ成立する戦法だ(6筋が争点になるから)。また、第4章「5筋交換型」は5手目▲7七銀でもありうるが、5手目▲6六歩では違う形になっていく(手順のあやから)。
本書では、矢倉の5手目▲6六歩と、3手目▲7八金について検討している。(※5手目▲7七銀の検討は上巻を参照)
まずは下巻である本書から読んでみた。理由は、研究書に徹した上巻よりも、エッセイなど書き下ろしがある下巻のほうが面白そうに思えたから。
レビューの前に一言。
まず、各節の冒頭でいきなり30手〜40手以上も棋譜が進む。p11(右図)で挫折した人も多いのではないだろうか。そして、その棋譜中の局面が頭に浮かんでいることを前提として解説が進んでいくだが、わたしレベルではついていけない(高段者ならできるのだろうか?)。
第N図と第(N+1)図の間には大きなスペースがあるので、そこに棋譜を再掲してくれればグッと読みやすくなったのに…。(一部は書いてあることもある)
そこで本書(上巻も含む)を読むときの推奨方法。まず、各節の棋譜を最初に並べてしまおう。局面を行ったり来たりできるように、将棋ソフト(市販ソフトでもKifu/WでもOK)を使うのがオススメ。そして可能な限り、局面と棋譜を確認しながら読んでいくとよい。ただしこの方法にはPCや携帯ゲーム機などが必要で、電車やバスの中で読むのはかなりツライ。
本編が読みづらかったので、エッセイから読んでみた。エッセイでは「矢倉の歴史」を追っている。内容は以下のとおり。
・旧・矢倉24手組と新・矢倉24手組(飛先不突き)
・二枚銀急戦が消えた理由
・矢倉の歴史
├飛先の歩
├▲4六歩△6四歩型の減少
├三手角のアイデア
├5筋交換のアイデア
├中央から動く他の手
├左美濃囲い
├右四間飛車
└矢倉版藤井システム(藤井流早囲い) |
上を見れば分かるように、「思想とアイデア」について書かれている。特にアイデアに重点が置かれているのが羽生らしい。連載終了後の10年で現れた将棋も多く紹介しているので、本編を大幅に補足する内容となっている。
※なお、本編は10年前の連載なので、当然一部の内容が古くなっているのだが、「書いた当時の背景を大切にしたいと考えておりますので、極力そのまま(連載当時の)型で残してあります」(p164)とのこと。
エッセイで紹介された将棋は、次の「棋譜FILE:『矢倉史を彩るこの一局』」に、総譜と羽生の概説付きですべて掲載されている。つまり、エッセイと棋譜ファイルはワンセット。これだけでも結構読み応え、並べ応えがあった。この内容でもう少し棋譜のボリュームを増やせば、それだけで一冊の名著が出来上がりそうだ。ちなみに、エッセイと棋譜ファイルは本編と違ってとても読みやすい。
対談は『ウェブ進化論』の梅田望夫と。将棋ファンには『シリコンバレーから将棋を観る─羽生善治と現代』(梅田望夫,中央公論新社,2009)の方が名が知られていると思う。『シリコン〜』は、「指さない将棋ファン宣言」の本。梅田は、『シリコン〜』やWEB観戦記などで「変わりゆく〜」の単行本化を強く訴え、それもきっかけの一つとして本書が刊行された。
対談の内容は以下のとおり。
(1)体系化して考えるということ
羽生が「変わりゆく〜」の連載を始めた動機、伝えたかったことについて。
体系化の時代、戦型と戦型とのリンク、普通の定跡型やコピー将棋への疑問、など。
「さまざまな形を関連付けて考えていく、という思想を残せていければいいなと思っていました」(p232)
(2)序盤の進化の2面性
序盤の進歩はコンピュータの脅威を遅らせた?
逆に進化を早めた? 初手からのつながり、など。
(3)一局の将棋を書き尽くす
(4)攻め合う、ということ
系統的に書ける戦型、実戦での実験、持ち時間、など |
この対談で梅田氏は羽生のいろいろなものを引き出そうとしている。羽生についてはいろんな人物との対談本が出版されているが、本対談ではほぼ純粋に将棋のことに絞っている。ここを読めば、本書が10年の歳月を経て出版されることの意味が分かると思う。
この後、改めて本編にチャレンジした。
やはり、相当に読みづらいだけでなく、難しいところはある。終盤(場合によっては100手を超える)まで一本道で一気に進め、「この戦型は先手が面白くないようだ」のように羽生の結論が書かれている。
定跡というレベルを超えているため、アマの実戦で本書のとおりに進む確率は非常に低いだろう。ただし、「トップ棋士はここまで考えて判断をしているんだ!」という凄みはビンビン伝わってくる。
また、いずれの戦型も関連棋書はあまり多くないため、とにかくがんばって並べて読み込むことで、経験値はかなり上がった、ような気がする。また、羽生の将棋の組み立てに少しは触れられた、ような気がする。(しかし並べていて楽しかったのは、どちらかといえば[棋譜FILE]の方だったが…)
個人的には、第4章の5筋交換型が良かった。2008年の竜王戦(渡辺vs羽生、3連敗4連勝で知られる七番勝負)以来注目していたので、2000年ごろの知見が分かったと同時に、「あの竜王戦ではこういう土台で戦っていたのか」と認識が少し深まった。この戦型は個人的に試しているが、好形が得られやすいためか、数ある後手急戦の中では戦いやすいと思っている。もちろん、あの渡辺新手2つはエッセイと棋譜FILEでも触れられている。
本書は、最新情報や知識を増やすことを期待するよりも、知見を求めて読むべき本だと思った。読み終えるとかなりの達成感がある(と同時に「上巻を読むのはもっと大変そうだな…」という虚脱感も襲ってくる(汗))。
万人にオススメできる本ではないが、修行僧的な一面を持った方にはオススメ。将棋年鑑を毎年並べ切っている方なら最高。一般の方も、本棚の飾りになる前に、エッセイ以下だけは読んでおいたほうがよいと思う。(2010Jun04)
※誤植は今のところ見つかっていません。
※梅田氏は羽生の手書き原稿をもらったんだって!いいな──!!(゚p゚)
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