クロスレビュー方式の自戦記。田中寅彦vs谷川浩司の実戦7局を掲載。
谷川と田中は、年齢は5歳差があるが、奨励会卒業が同年で、棋士になってからの勝率も高く、「ライバル」と見られていた。1990年代以降のファンにとっては「なんで?谷川のライバルは羽生でしょ」と思うだろうが、当時の田中は結構すごかったのである。谷川の方が実績面で先行しており、この「ライバル関係」はやや「田中の片想い」気味にも見えるのだが、非公式戦の企画などで周囲が煽ったこともあり、谷川も十分意識していたと思われる。
本書は、谷川vs田中の初手合からの7局について、それぞれが別々に自戦記を書いたものである。
田中寅彦−Wikipedia
1957年4月生、1976年四段、1984年A級八段。
「序盤のエジソン」の異名があり、田中が広めた「居飛車穴熊」と「飛先不突き矢倉」は現代の序盤思想に非常に大きな影響を及ぼしている。終盤にやや難あり。
当時、谷川をライバル視しており、本書出版前の1984年に「あの程度でも名人になれる」という挑発的な発言を残している。 |
谷川浩司−Wikipedia
1962年4月生、1976年12月四段、1982年A級八段、1983年名人。
史上2人目の中学生棋士でデビュー、19歳でA級、21歳で名人になった天才棋士。「光速の寄せ」の異名があり、終盤の切れ味は絶大な信用があった。谷川の終盤術は、羽生世代以降の棋士に非常に大きな影響を与えた。「早く終盤になればいい」という名言も知られる。
当時は序盤が苦手とされており、プロ入り同期の田中とよく比較されていた。 |
谷川vs田中戦は、1985年4月までで通算16局(非公式戦7局を含む)行われており、対戦成績は8-8の五分。本書には1977年2月の初手合から1978年4月までの7局を収録。7局には「竅iえい)」誌の指定局面戦や、「将棋世界」誌の特別三番勝負など、非公式戦も含まれている。
レイアウトは、下図のように珍しい三段組になっている。
本書オススメの読み方は、(1)上段or下段の好きな方の自戦記を一気に読む、(2)もう一方の自戦記を読む、(3)あとで部分的に上段と下段を対比して読む。こうすると、対局者の心理や読みの違いが分かりやすい。
各局を個別にレビューしてみよう。
〔第1局〕 △三間飛車vs▲居飛車穴熊
直前の▲土佐vs△谷川戦で、横歩取りで谷川は完敗。本局の戦型選択にも影響している。田中が対局直前に土佐戦について牽制球を投げているところにも注目。谷川の序盤の手順前後を田中が的確に咎めた。
本局の田中は異様なほど強気である。
・感想戦で谷川に▲2四歩を褒められて「こいつ、生意気なヤツだな」(p39)
“上から目線”に感じたらしい。
・中盤で淡白になった谷川に「ヤケに楽な相手だなァ」(p46)
・終盤、敗勢で投げずにクソ粘りする谷川の「かわいそうだな」(p49)
・ようやく投了した谷川に「もういいんですか?」(p50) (≒「もう気が済んだか?」)
そして、一局目でボコボコにしてしまったのが谷川を強くしてしまった、という自負。
〔第2局〕 △四間飛車
相穴熊
本局は雑誌の企画で、基本的に△四間飛車穴熊を前提とした指定局面戦。居飛車は急戦・左美濃・位取りなど何でも選べるが、本局は田中が先手なので当然のように相穴熊になった。
谷川が四間穴熊を指したのは本局が初めてで、序盤がかなりぎこちなく、すぐに形勢を損じてしまう。谷川の完敗譜である。
なお、ポンポン指していた田中がウッカリ2手指ししそうになっている。
〔第3局〕 △四間飛車vs▲居飛車穴熊
居飛車党に転向していた谷川だが、田中の居飛穴に負けたままでは収まらない、ということで本局では飛車を振った。そして居飛穴が未完成のうちに急戦を仕掛けていく。中盤での角と銀香の二枚換えは互いの読み筋だが、飛を封じた先手が有利になる。田中と谷川の大局観にハッキリと差が出た局面だった。
この将棋で谷川は、「居飛穴は堅いのではなく、遠いのだ」ということに気づく。そしてこの気づきは、現代に至るまで居飛穴戦術の考え方の基本となっている。
〔第4局〕 △三間飛車vs▲居飛車穴熊
本局も谷川は意地で飛車を振った。前局で「居飛穴の“遠さ”」に気づいた谷川は、本局では端攻めを敢行するが、6筋の歩を突き捨てられた(▲6二歩が生じる)ときの美濃のモロさをウッカリして、ついに対田中居飛穴に4連敗を喫してしまう。
本局では二人の大局観の差が特に際立っている。例えばp102の△6四歩(変化)に対する判断の違い。さらにp106〜107の終盤戦でも「谷川はいい勝負になった」、田中は「少しも危険を感じず」。どうやら、この時期は谷川の対居飛穴感覚が田中に遅れを取っているようだ。
〔第5局〕 相矢倉
谷川がついに振飛車を断念。田中の居飛穴に(一時的にせよ)屈した形となった。田中は「勝った」と思って少し緩み、谷川は「今は矢倉の方が得意」と意地を捨てて背水の陣で臨んだのが、本局に影響する。
田中は、谷川の「無理筋のはず」の仕掛けに驚き、思考が乱れ、過ぎた局面を対局中に何度も後悔してしまった。谷川は「作戦負けになるくらいなら今行くしかない」という考えで仕掛けを決行したのであり、こういう序盤の勝負手は田中の思考になかったようだ。単なる序盤型/終盤型の対比だけでなく、そもそもの「将棋観」に大きな違いがあることが本局で明らかになっていく。
〔第6局〕 相掛かり▲ヒネリ飛車
後手の谷川が△4五角戦法を狙って横歩取りを誘ったが、田中は横歩を取らなかった。相掛かりからヒネリ飛車にして、作戦自体は悪くなかったようだが、大局観に狂いが生じており、急所で慎重に読むことを怠った局面が何度か見られる。
田中の「あまりにも勝とうという意識が強すぎたのが敗因となった。(中略)気負いが、最後まで私の心から冷静さを奪っていたのである。」という言葉が、本局の全てを語っている。
谷川にとっては、これまでの4連敗を帳消しにするかのような、価値ある2勝となった。三番勝負に勝っただけでなく、「居飛車なら田中に勝てる」という実績を作ったのである。
〔第7局〕 △三間飛車vs▲居飛車穴熊
特別三番勝負を2-1で制し、肩の荷が半分降りた谷川は、未解決のままの「打倒・田中居飛穴」という課題に再び意欲を見せ、本局で飛車を振った。そして居飛穴の完成前に向飛車から開戦。
谷川有利で進んだものの、二枚飛車で形勢を楽観した谷川に対し、田中は二枚角から絶妙の受けで逆転に成功する。谷川に終盤で逆転するのはなかなかできないこと。「(谷川は)将棋はヘタだが勝負に強い」(p172)ということを認識し、緩みをなくした田中の充実振りが見て取れる。
しかし、逆転したことで田中の気が抜け、最終盤で攻防手△4三角を見落とし、再逆転。1局だけとはいえ、打倒・居飛穴の結果を出した谷川は5日後の名人戦(vs加藤)に晴れやかな気持ちで臨むことになり、見事名人位を奪取した。
一方、田中はのちに「こんなに弱い名人もいる」という発言で世間をにぎわしたが、「谷川に無敵の強さを誇る名人になってもらい、そしていつか二人で名人位を競いたい」ということだった。序文でただ一行、「ああ、名人にならなければ、ダメだ。」(p11)と書いたところにもその気持ちが垣間見られる。
〔解説〕
白井宇一氏による、企画の「背景」などを解説したもの。
・谷川・田中の「ライバル」関係について
・特別な「名人」と他のタイトル戦の比較
・谷川・田中以外の若手有望株(塚田、島、福崎)
・谷川・田中の成績比較
本書は、クロスレビュー方式のため、シングルの自戦記では味わえない面白さが随所に見られる。特に、対局者の戦型選択時の考えや、両者の読み筋の違い、対局心理の対比などに注目。7局とボリュームがちょっと少なめなのでBとしているが、読み応えもなかなかである。単なる自戦記“集”ではなく、7局が一編のストーリーになっている。
こういう企画は、もっと単行本で出ていても良さそうなものだが、本書の続編『対決 <熱闘七番>』(1986.05)のあとにはほとんど出版されていないのは残念。本シリーズの売上が期待ほどではなかったのだろうか?類書が少ないことで、逆に本書のユニークさが際立っているのだが。
なお、本書の巻末予告では少なくともパート3まで企画されており、第2巻は『対決<第二集>
相剋七番』になる予定だったが、第2巻は名称変更され、第3巻は出版されなかった。(2011Jul24)
※誤植・誤字等(第1刷で確認)
p35上段 ×「私は△3七柱から」 ○「私は△3七桂から」
p60下段 「▲7七角(A図)と引いて充分だ。」
→ A図が存在しない。
p62下段 ×「△4七竜と、金を奪って」 ○「▲4七竜と、と金を奪って」
p108上段 ×「▲3三角成△同柱▲2四飛なら」 ○「▲3三角成△同桂▲2四飛なら」
p132(ハ)図 後手の持ち駒 ×「飛金銀三柱歩四」 ○「飛金銀三桂歩四」
p143上段 ×「意地は捨てることにした。 た。」 ○「意地は捨てることにした。」
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