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谷川浩司の将棋 矢倉篇 | [総合評価] A 難易度:★★★★ 図面:見開き4枚 内容:(質)A(量)B レイアウト:A 解説:A 読みやすさ:A 上級〜有段向き |
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【著 者】 谷川浩司 | ||||
【出版社】 日本将棋連盟/発行 マイナビ出版/販売 | ||||
発行:2018年10月 | ISBN:978-4-8399-6631-7 | |||
定価:2,678円(8%税込) | 336ページ/cm |
【本の内容】 |
【構成】 鈴木宏彦 第1部 講座編 私的矢倉観=24p 第2部 自戦記編=20局 ・【コラム】(1)モチベーション (2)研究会 ◆内容紹介 「私が棋士になったのが、昭和51年12月20日。中学2年生の時であった。以来、間もなく42年の月日が流れる。公式戦の対局数は2200局を超えた。いろんな将棋を指したし、いろんな手を指した。思い出を語ればきりがないが、できれば現役時代のうちに自分の指した将棋の中身をもう一度確かめておきたいというのが、私の前からの念願であった。今の目で見た自分の将棋を書き残しておきたかったのだ。 そこで本書を出版させていただくことになったのである」(まえがきより) 本書は谷川浩司九段が42年に及ぶ将棋人生を自らの言葉で振り返る「谷川浩司の将棋」シリーズ第1弾、矢倉編です。 中学生棋士としてプロデビューしてから現在に至るまで常に一線で活躍し続けてきた谷川九段にしか語れない言葉があります。 また、残してきた名局の数々は羽生善治竜王はじめ、数多くの棋士に影響を与えてきました。 本書では第1部で「講座編 私的矢倉観」と題して谷川九段が実際に経験してきた40年の矢倉の変遷を解説します。第2部は「自戦記編」。谷川九段が指した矢倉の対局約440局の中から自らが選んだ珠玉の20局を詳細に解説します。 対中原誠、加藤一二三、米長邦雄、南芳一、森下卓、羽生善治、佐藤康光、森内俊之、村山聖、郷田真隆。いずれも歴史に残る名勝負ばかりです。 本書こそ、全将棋ファン必携の一冊といえるでしょう。 |
【レビュー】 |
谷川浩司九段(永世名人資格者)の矢倉の実戦を解説した本。 谷川は角換わりのスペシャリストのイメージが(少なくとも私には)あるが、若いときはかなり矢倉を指していた。谷川のこれまでの公式戦約2200局のうち、約440局(20%)が矢倉である。谷川が最も矢倉を指していたのは1979年〜1995年で、「この頃は矢倉が最も好きな時期だった」(まえがきより)とある。 本書は、谷川の膨大な矢倉の実戦の中から20局を厳選し、詳細に解説を加えた自戦記集である。 谷川の自戦記といえば、「谷川浩司全集」シリーズがあり、デビュー(1976年)から2003年度までの棋譜はすべて収められてきた。本書の棋譜も20局中17局は、過去の「谷川浩司全集」に収録されたことがあるが、本書の自戦記はすべて現在(2018年)の視点で新しく書き直されたもの。当時の自戦記が再検討されている。 各章の内容を紹介していこう。 第1部は「講座編 私的矢倉観」。谷川が考える矢倉観を、江戸時代から現代までの歴史を追いながら述べていく。 〔ダイジェスト〕 ・矢倉囲いは江戸時代初期からある。 ・18世紀には、相居飛車系の先手の囲いとして矢倉が定着した。 ・19世紀には、相矢倉が登場。 ・20世紀半ばに、相矢倉の研究が進んだ。 −5手目▲7七銀は、当時から賛否があった。 −升田幸三が「居玉+▲4六銀型急戦」や「スズメ刺し」「棒銀端攻め」を開発。 ⇒矢倉の序盤も狙いを持って駒組みする時代に突入した。(力戦狙いではなくなった) ・1970年代〜80年代に、中原誠を中心に矢倉24手組の時代に。 ⇒「矢倉を指さなければ居飛車党とはいえない」という時代。 −スズメ刺しを巡る戦いが盛ん。「▲スズメ刺」し→対して「△棒銀」→さらに対して「▲2九飛戦法」、など。 −「総矢倉」の打開、「加藤流▲3七銀」の登場、「同型矢倉」など。 −「▲4六銀-3七桂型」の基本の攻め筋も開発された。 −「先不突き矢倉」、「森下システム」も出現した。 ・1990年代前半は、「森下システム」が全盛期。 −攻守にバランスが取れており、攻めて良し・受けて良し。 ⇒対策として、「徹底防御」と「△スズメ刺し」が現れ、森下システムは徐々に減少した。 ・1990年代後半〜2000年代は、「▲4六銀-3七桂型」が全盛期。 −後手は攻め合いが難しく、全面防御へ。 ⇒2000年代後半は、先手が穴熊まで囲う将棋や、「△5五歩急戦」も指された。 ・2010年代前半には、▲4六銀-3七桂が突き詰められた。 −「91手定跡」も登場した。 ・2014年に、▲4六銀に△4五歩が見直され、▲4六銀-3七桂の前提が崩れた。 ⇒さらに「△左美濃急戦」などが現れ、相矢倉自体が激減。5手目▲7七銀の意義が再び問われている。 ※谷川自身は、矢倉が突き詰められた時期(≒中盤まで進行が同じ「コピー将棋」が多かった時期)は、矢倉をあまり指さないようにしていた。具体的には、先手の作戦が▲4六銀-3七桂に絞られ始めてからはあまり矢倉を指していない。本書でも、比較的早い段階で独自の工夫ができる将棋が多い。 本章は、基本的に時系列を追って話が進んでいく。なので、すでに矢倉の知識が相当なレベルがある人には、「ああ、そういう感じで戦法の隆盛が進んだんだ」と思えるが、半面あまり矢倉の知識がない人にとってはやや体系的でないと思うかもしれない。 第2部は、「自戦記編」。谷川の公式戦から、矢倉の厳選20局をガッツリ解説していく。 選ばれた将棋は、谷川自身のお気に入りだったり、レベルの高い将棋であると同時に、「その時代を代表する棋士と戦った、代表的な矢倉の対局」というものが多いようだ。そのためか、タイトル戦の将棋がかなり多い。 (1)「十代の記念碑」、対中原誠名人、1981.09.15、十段戦リーグ ・憧れの名人・中原との3局目。谷川はまだ19歳。 ・飛先不突き矢倉以前の「旧24手組」から、25手目▲1六歩△9四歩▲9六歩で、以下▲2九飛戦法に。 ・60手まで、同年の▲中原△米長(王位戦3)と同一。 ・寄せのミスがあったが、「詰めろ逃れの詰めろ」の掛け合いで読み勝ち。 (2)「名人挑戦を懸けて」、対中原誠棋聖、1983.03.24、名人戦挑決 ・前局よりも早めの▲2九飛。▲5九飛〜▲5五歩を狙ってやや積極的。 ・「重大な一番こそ積極的に戦う」(p55)という谷川の姿勢を感じた一局。 ・「相手の応手を限定して、ある手を実現したかった」(p57)という谷川の棋風が表れている。 ・一度自戦記を書いているが、現代目線で書き直している。 (3)「夢舞台に立つ」、対加藤一二三名人、1983.04.13-14、名人戦1 ・名人初挑戦の一局。 ・当時、谷川に注目が集まったことを、羽生七冠のときや藤井聡太ブームとなぞらえて回想。 ・▲スズメ刺しvs△7三銀型へ。 ・加藤はプレッシャーからか、手が伸びない。 ・ここで名人を奪取したことが、谷川の棋士人生を支えた。 (4)「米長三冠王に挑む」、対米長邦雄棋聖、1984.06.29、棋聖戦2 ・互いに端を詰め合い⇒同型矢倉模様⇒△スズメ刺し模様⇒▲8八銀で受ける展開。 ・「戦いになってからも、まだひと山もふた山もあるのが矢倉戦の特徴」(p92)とのことで、これが谷川の好きな矢倉戦。(※研究重視になった2000年代の矢倉には興味を失ったようだ) ・得意の終盤で逆転負けし、後を引いた。 (5)「中原王将の挑戦を受ける」、対中原誠王将、1985.06.03-04、名人戦1 ・やっと念願の「中原と名人戦」を果たす。 ・△スズメ刺しvs▲棒銀 ・「先手に攻めさせて反撃」が後手の狙い。 ・入玉形を寄せられず、「入玉嫌い」になった。 (6)「米長九段の挑戦を受ける」、対米長邦雄九段、1989.04.13、名人戦1 ・飛先不突き矢倉が本書で初登場。 ・▲4六銀vs△6四銀に。 ・名人を中原に奪われた後、再度奪い返したその次の名人戦。(なお、中原から奪取した名人戦は収録なし) (7)「若手の追撃始まる」、対佐藤康光五段、1990.09.20-21、王位戦7 ・羽生世代の襲来。 ・中盤のねじり合いから、序盤から主導権を争う将棋へ、時代が変わりつつあった。 ・△三手角狙い〜雁木 (8)「羽生さんとの初タイトル戦」、対羽生善治竜王、1990.10.19-20、竜王戦1 ・羽生との初タイトル戦。「羽生の震え」はこのときからあったらしい。 ・矢倉▲3七銀戦法▲6五歩型。力戦志向で、中央は厚くできるが、玉は薄くなる作戦。 ・羽生を破り、三冠へ。 (9)「森下システムと戦う」、対森下卓六段、1991.12.17-18、竜王戦6 ・▲森下システムvs△スズメ刺し ・「序盤で手を渡して相手の動きによって作戦を決めるという考え方は現在もあらゆる戦型に広がっている」(p176) (10)「南王将に挑戦」、対南芳一王将、1992.01.27-28、王将戦2 ・▲森下システム ・△5五歩▲同歩△同角に▲5六金!〜▲6五金と進む、当時の流行形。 (11)「三冠と二冠の対決」、対羽生善治王座、1992.11.10-11、竜王戦2(千日手指し直し局) ・▲森下システム ・1990年頃から続いていたテーマ。 ・△3七角成と切って桂を取り、△4五桂で飛角両取りをかける将棋。定跡になった。 (12)「鬼才、村山六段とのタイトル戦」、対村山聖六段、1993.01.13-14、王将戦1 ・▲森下システム△スズメ刺し (13)「中原先生との最後のタイトル戦」対中原誠前名人、1994.01.13-14、王将戦1 ・▲森下システム ・先手が▲4六歩と突く前に△5五歩と動く。▲4七銀型を作らせない狙い。 (14)「七冠フィーバーの中で」、対羽生善治竜王名人、1995.03.24、王将戦7(千日手指し直し局) ・▲3七銀戦法、▲3五歩早突き (15)「永世名人資格を得る」、対羽生善治名人、1997.04.10-11、名人戦1 ・△ウソ矢倉 ・先手が米長流急戦矢倉模様に組んだが、後手が徹底警戒したため、同型矢倉模様に。 ・谷川が「詰めろを掛けた」と勘違いした悪手▲4一銀を、羽生も詰めろだと勘違いした、珍しい将棋。 (16)「驚きの感想」、対佐藤康光八段、1998.06.17-18、名人戦7 ・▲4六銀-3七桂vs△9五歩 ・宮田新手は2002年なので、未登場。 ・▲2五桂に△4五歩▲同銀△1九角成▲4六角から何度も角を打ち合う定跡。 ・佐藤の研究の深さに谷川は畏怖を感じた。 ・この将棋は2013年に急に復活した。 (17)「千勝達成と王位獲得」、対羽生善治王位、2002.08.06-07、王位戦3 ・△左美濃▲早囲い ・2018年現在の左美濃急戦ではない。 ・谷川は当時、▲3七銀戦法の最新形に付いていくことを止めていた。 ・左美濃にして7筋から早く動くのが工夫。 (18)「森内名人に挑む」、対森内俊之名人、2006.06.01-02、名人戦5 ・▲ウソ矢倉 ・当時流行の△一手損角換わりの対策ができなかったため、先手で角道を止めてウソ矢倉に。相早囲いになった。 ⇒当時は弱みを見せることになるため「対策できず」とは言えなかったと思うが、時間が経てば当時の心境を素直に表現できることもあるという例。 (19)「会長時代の羽生戦」、対羽生善治名人、2016.01.15、竜王戦1組 ・▲3七銀戦法 ・角対抗型に進んだ。脇システムではなく、△5三銀-7三桂の形。 ・「せっかくの羽生戦」なので、メジャーな定跡形は外したとのこと。 ⇒谷川にとって、羽生と中原だけは本当に特別なんだな、と本書を読んで思います。 (20)「後手急戦の時代」、対郷田真隆九段、2017.10.19、順位戦B級1組 ・△7三桂早跳ね急戦 〔総評〕 旧24手組から森下システム、▲3七銀戦法など、バラエティ豊かな矢倉戦を楽しめた。また、谷川ができるだけ研究勝負にならないようにしている感じも随所に出ており、「最新定跡だけが将棋じゃない」と思わせてくれた。 特に谷川と一緒に育ってきた40代以上のファンにとっては、しっかりと矢倉を堪能できる一冊だと思う。 半面、古い矢倉をあまり知らない30代以下の人にとっては、前半と後半の将棋の造りの違いが、本書の20局だけではちょっと掴み切れないかもしれない。特に▲4六銀-3七桂の将棋はほとんどないため、1990年代後半以降の矢倉しか知らない人は、あまりなじみのない将棋ばかりかもしれない。 新旧の矢倉をたくさん見てきた(or並べてきた)人こそが楽しめそうだ。(2018Nov11) |